李世民は中国史上二十代で天下をとった二人の内の一人である。世民のほか一人は項羽であるが、項羽が一代で滅びたのに対して、世民の創った唐王朝は三百年続いたのである。このことを一つ採っても、世民が並みの皇帝ではないといえるだろう。どうして、三百年も継続した唐王朝を創ることができたか、この物語を進めて行こう。
中国武功県で生まれた李世民は四歳の頃、父李淵処へ書生が訪れた際に、その子を見て「龍鳳之姿、天日の表、其年几冠必能済世安民」(龍や鳳凰の姿を有し、成人後は世の中を治めて民衆を安心させるだろう)と感嘆した。そのときから世民という諱(いみな)がついた。
十六歳のとき、隋の煬帝(ようてい)が雁門において突厥に包囲されると、世民は雲定興の下で従軍し、煬帝救出に尽力した。又、父李淵が歴山飛に包囲されたときは軽騎を率いて救援した。
騎馬民族である鮮卑族の貴族であるからして、騎馬と弓は世民の得意な技である。世民を名乗りだした四歳から、春秋左氏伝を読みこなし、天下布武を自分の生涯の目的として、親の李淵にも打明けず深く心に刻んで日々、七徳の武の王となるべく心と体を磨いていたのである。
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