明治大正のジャーナリストにして、正岡子規も尊敬したという福本日南による黒田如水の伝記!
その後続々と現れる官兵衛本の元祖である。
それまで太閤記系物語の中の人物であった黒田官兵衛を何故とりあげたのか、彼の説くところを聞こう。
==========================
叙言
彼戯園に看よ。劇の一世に稱せらるゝものは、作者の作、優者の優と、雙絶なるものならずばあらず。一世の洪業に於ても亦然り。殷湯、夏を代てば、伊尹之を扶け、周武、殷を征すれば、呂望之を翼く。高祖何に由りて乎龍驤せし。其後車に張良あり。昭烈何に由りて乎虎嘯せし。其帷中に諸葛あり。太閤一代の事業に察するも、我其の二兵衞に負ふものゝ尠少ならざるを知れり。
二兵衛とは誰ぞや。竹中半兵衛重治なり。黑田官兵衛孝高なり。一は太閝を筑前守時代に扶け、他は之を筑前守より關白及太閤時代まで翼く。一は太閤より廿十年の前に死し、他は太閤より七年の後に逝けり。扶翼時を同くせずと雖も、其の太閤の為に參畫せしや、則ち一なり。故に太閤の事業を知らんと欲せば、半面に二兵衞を看んことを要す。何となれば二兵衞は作者、太閤は名優なればなり。
唯重治の死や太だ早し。其行實概見せず。之に反し、孝高の太閤に追随する廿餘年、鱗甲首尾悉く露はる。且つ彼の人となり、作者にして優者を兼ぬ。其規模固より太閤に及ばずと雖も、亦裕に良優の域に入れるものあり。彼の意氣、畫策、言動、宛として太閤の小摸型にあらざる無し。若し其器度を現今の角觝に視なば、太閤は常陸、孝高は小常陸に幾からん乎。
太閤の一たび目を瞑するや、天下復た大に亂る。是時に當り、意を大局に留め、手に大勢と掣せんと試みたる者は、家康、三成、兼續を除くの外は、獨り此孝高入道如水軒これあるのみ。唯彼れ不幸にして身病羸、又不幸にして西陲に僻在し、時運の會に後れたりと雖も、隱居事業に九州を征定し、旗を中原に樹さんと志したるもの、亦故太閤幕下の一參謀たるに負かず。同時に故太閤身後の一模型たるに愧ぢず。
今の時は、何の秋ぞ'。世界は方に文祿慶長の再現なり。而も一世偸安風を成し、復た人の草履一隻・下駄一隻、以て大に爲す有る可きを思ふ無し。是れ豈興國の氣象ならんや。古人いふ、我之を空言に歳するは、之を行事に見はすの信切著明なるには如かずと。是に於て乎太閤の小模型に擇み、此に黑田如水傳を作る。
明治四十四年四月 日南學人識
======================
つまり当時の世界情勢があやしく戦国時代のようなものなのに、最近の世間はたるんどる。天下を狙った気概のある黒田勘兵衛に習おうというわけです。
国会図書館所蔵本を画像のまま復刻
=========================
(口絵)如水の印
(口絵)黒田如水肖像
(口絵)黒田如水甲冑
(口絵)黒田如水筆跡
叙言
目次
黒田如水
- 一 黒田氏家系
- 二 黒田家發祥の地
- 三 如水の起身
- 四 秀吉との遇合
- 五 小寺政職の背叛
- 六 如水の奇厄
- 七 如水と基督教
- 八 竹中重治の友誼
- 九 如水の脱歸
- 十 高松城の水攻
- 十一 媾和使の來營
- 十二 如水の折衝
- 十三 媾和の成立
- 十四 秀吉の東上
- 十五 山崎の大戰
- 十六 四國征討
- 十七 九州征討の開始
- 十八 如水の機略
- 十九 秀吉の西下
- 二十 封内の清肅
- 二十一 宇都宮鎭房の背叛
- 二十二 鎭房一家の族滅
- 二十三 俗説妄傳
- 二十四 城井谷の懷古
- 二十五 如水隆景の智勇
- 二十六 如水の引退
- 二十七 關東征東
- 二十八 朝鮮征伐の開始
- 二十九 京城の軍議
- 三十 如水の薙髪
- 三十一 如水の明鑑(上)
- 三十二 如水の明鑑(下)
- 三十三 太閤の薨去
- 三十四 大亂の發生
- 三十五 諸將の年齡
- 三十六 上國の變報
- 三十七 如水の募兵
- 三十八 豊後の諸城
- 三十九 大友義統の西下
- 四十 如水の南征
- 四十一 石垣原の血戰
- 四十二 同(石垣原の血戰 続)
- 四十三 如水の南豊經略
- 四十四 同(如水の南豊經略 続)
- 四十五 同(如水の南豊經略 続続)
- 四十六 如水の筑豐經畧
- 四十七 如水の筑日經略
- 四十八 大勢一變
- 四十九 如水の希望
- 五十 如水の超脱
- 五十一 如水の風韻
- 五十二 如水の言行
- 五十三 同(如水の言行 続)
- 五十四 同(如水の言行 続続)
- 五十五 同(如水の言行 続続続)
- 五十六 同(如水の言行 続続続続)
- 五十七 同(如水の言行 長政への遺訓)
- 五十八 同(如水の言行 末期の状態)
附録
- 黒田氏の家系
- 黒田氏と黒田
- 黒田氏と福岡 其一
- 黒田氏と福岡 其二
- 黒田氏と姫路
- 如水の年壽
- 如水父子の羅馬字印
附録二 孝高年譜
奥付
その後続々と現れる官兵衛本の元祖である。
それまで太閤記系物語の中の人物であった黒田官兵衛を何故とりあげたのか、彼の説くところを聞こう。
==========================
叙言
彼戯園に看よ。劇の一世に稱せらるゝものは、作者の作、優者の優と、雙絶なるものならずばあらず。一世の洪業に於ても亦然り。殷湯、夏を代てば、伊尹之を扶け、周武、殷を征すれば、呂望之を翼く。高祖何に由りて乎龍驤せし。其後車に張良あり。昭烈何に由りて乎虎嘯せし。其帷中に諸葛あり。太閤一代の事業に察するも、我其の二兵衞に負ふものゝ尠少ならざるを知れり。
二兵衛とは誰ぞや。竹中半兵衛重治なり。黑田官兵衛孝高なり。一は太閝を筑前守時代に扶け、他は之を筑前守より關白及太閤時代まで翼く。一は太閤より廿十年の前に死し、他は太閤より七年の後に逝けり。扶翼時を同くせずと雖も、其の太閤の為に參畫せしや、則ち一なり。故に太閤の事業を知らんと欲せば、半面に二兵衞を看んことを要す。何となれば二兵衞は作者、太閤は名優なればなり。
唯重治の死や太だ早し。其行實概見せず。之に反し、孝高の太閤に追随する廿餘年、鱗甲首尾悉く露はる。且つ彼の人となり、作者にして優者を兼ぬ。其規模固より太閤に及ばずと雖も、亦裕に良優の域に入れるものあり。彼の意氣、畫策、言動、宛として太閤の小摸型にあらざる無し。若し其器度を現今の角觝に視なば、太閤は常陸、孝高は小常陸に幾からん乎。
太閤の一たび目を瞑するや、天下復た大に亂る。是時に當り、意を大局に留め、手に大勢と掣せんと試みたる者は、家康、三成、兼續を除くの外は、獨り此孝高入道如水軒これあるのみ。唯彼れ不幸にして身病羸、又不幸にして西陲に僻在し、時運の會に後れたりと雖も、隱居事業に九州を征定し、旗を中原に樹さんと志したるもの、亦故太閤幕下の一參謀たるに負かず。同時に故太閤身後の一模型たるに愧ぢず。
今の時は、何の秋ぞ'。世界は方に文祿慶長の再現なり。而も一世偸安風を成し、復た人の草履一隻・下駄一隻、以て大に爲す有る可きを思ふ無し。是れ豈興國の氣象ならんや。古人いふ、我之を空言に歳するは、之を行事に見はすの信切著明なるには如かずと。是に於て乎太閤の小模型に擇み、此に黑田如水傳を作る。
明治四十四年四月 日南學人識
======================
つまり当時の世界情勢があやしく戦国時代のようなものなのに、最近の世間はたるんどる。天下を狙った気概のある黒田勘兵衛に習おうというわけです。
国会図書館所蔵本を画像のまま復刻
=========================
(口絵)如水の印
(口絵)黒田如水肖像
(口絵)黒田如水甲冑
(口絵)黒田如水筆跡
叙言
目次
黒田如水
- 一 黒田氏家系
- 二 黒田家發祥の地
- 三 如水の起身
- 四 秀吉との遇合
- 五 小寺政職の背叛
- 六 如水の奇厄
- 七 如水と基督教
- 八 竹中重治の友誼
- 九 如水の脱歸
- 十 高松城の水攻
- 十一 媾和使の來營
- 十二 如水の折衝
- 十三 媾和の成立
- 十四 秀吉の東上
- 十五 山崎の大戰
- 十六 四國征討
- 十七 九州征討の開始
- 十八 如水の機略
- 十九 秀吉の西下
- 二十 封内の清肅
- 二十一 宇都宮鎭房の背叛
- 二十二 鎭房一家の族滅
- 二十三 俗説妄傳
- 二十四 城井谷の懷古
- 二十五 如水隆景の智勇
- 二十六 如水の引退
- 二十七 關東征東
- 二十八 朝鮮征伐の開始
- 二十九 京城の軍議
- 三十 如水の薙髪
- 三十一 如水の明鑑(上)
- 三十二 如水の明鑑(下)
- 三十三 太閤の薨去
- 三十四 大亂の發生
- 三十五 諸將の年齡
- 三十六 上國の變報
- 三十七 如水の募兵
- 三十八 豊後の諸城
- 三十九 大友義統の西下
- 四十 如水の南征
- 四十一 石垣原の血戰
- 四十二 同(石垣原の血戰 続)
- 四十三 如水の南豊經略
- 四十四 同(如水の南豊經略 続)
- 四十五 同(如水の南豊經略 続続)
- 四十六 如水の筑豐經畧
- 四十七 如水の筑日經略
- 四十八 大勢一變
- 四十九 如水の希望
- 五十 如水の超脱
- 五十一 如水の風韻
- 五十二 如水の言行
- 五十三 同(如水の言行 続)
- 五十四 同(如水の言行 続続)
- 五十五 同(如水の言行 続続続)
- 五十六 同(如水の言行 続続続続)
- 五十七 同(如水の言行 長政への遺訓)
- 五十八 同(如水の言行 末期の状態)
附録
- 黒田氏の家系
- 黒田氏と黒田
- 黒田氏と福岡 其一
- 黒田氏と福岡 其二
- 黒田氏と姫路
- 如水の年壽
- 如水父子の羅馬字印
附録二 孝高年譜
奥付