幕末の浮世絵師・歌川芳艶(一英斎芳艶)(1822-1866)による浮世絵太閤記!
注意:浮世絵だけです
幕末とはいえまだ江戸時代なので秀吉の時代は差し障りが多く、名前も微妙に書き変えてあります(当時の通例)
歌川芳艶は歌川国芳の弟子の一人で、武者絵を得意とした。構成力や色使いに見るところがあるが、明治を迎えずに死んだので明治以降に大活躍した月岡芳年や落合芳幾などの影にうもれ、国芳門人も多数いることもあってあまり有名ではない。
国会図書館所蔵本を電子書籍として復刻
もとの表紙 版元紅英堂の序文
第壹 梶塚与六 矢矧の橋にて猿之助に見ゆ
第二 猿之助 初陣に伊藤日向守を討つ
第三 猿之助 尾田家へ仕官を好む
第四 此下宗吉割 普請破損をおさむ
第五 此下宗吉郎 岩倉を燒討にす
第六 梅島此下 試鎗の長短
第七 桶狹間合戰に稻川氏元討死
第八 此下宗吉郎 莚にて五色の旗を造り奇計を行ふ
第九 此下宗吉郎 再び須股の砦を築く
第十 宗吉郎 智辨をもつて瀧中を須またの閑居にうつす
第十一 此下宗吉郎 稻葉山の搦手を襲ふ
十二 ひゃうたんの相圖に寄手水門より討入 稻葉山落城
十三 千葉田員家 宗貞が爲に水の手を断るゝ
十四 員家 水瓶を破て諸士をはげます
十五 仙住坊 木陰にしのび春長を討んとす
十六 佐々井京藏 行年十五歳亂軍の中に討死
十七 安藤喜右衞門 敵陣へ紛こミ春長を害せんとす
十八 延受藤助 主君數家の馬印を取返す
十九 志奥近内 今成を水中へ引入討とる
第二十 久吉 播州へ出張を春長見送り給ふ
二十一 天目山に 武田伊賀四郎勝家主従討死す
二十二 春長公 蘇鉄の怪異を怒りたまふ
二十三 香辺川を絶て赤松を水にしたす
廿四 赤松水責 防戰難儀におよふ
二十五 四方傳政兵衞 本能寺の塀重門を打碎く
二十六 本能寺の戰にお直の局美勇をあらハす
二十七 武智右馬之助 石弩火鉄にて敵城を打崩す
二十八 武智右馬之助 浮橋を造り勢田をわたす
二十九 久吉京都の密使を捕ゆる
第三十 四方傳左二馬頭 久吉を追ふて勇力を顕す
三十一 佐藤正清 四方傳左二馬頭を討
三十二 百性太之助 久吉の陣中へ瓜を献る
三十三 久吉 道秀 天王山をあらそふ
三十四 旧臣等 道秀の討死を諌る
三十五 中沼忠兵衞 闇夜に道秀を突く
三十六 武智十左衞門 僞て死人と成り久吉に近付く
三十七 右馬之助家臣 早瀬判四郎討死
三十八 右馬之助 馬をもつて湖水を渡す
三十九 折尾宇助 内藤由良のすけを生どる
四十 大徳寺の焼香 諸士の順列をたゞす
四十一 英雄勇名を賎ケ嶽にとゞむ
四十二 生笹の指物 北兵を恐れしむる
四十三 賎ケ嶽七本鎗の内 佐藤 富久知間 高名
四十四 賎ケ嶽七本鎗之内 吉良野 賀津谷 高名
四十五 賎ケ嶽七本鎗之内 和毛坂新内 高名
四十六 賎ケ嶽七本鎗之内 捨作 万一郎 高名
四十七 正盛一騎 久吉を襲ふ
四十八 久吉の伏兵 宅間玄蕃頭を生捕
四十九 久長 久次 和気の城を責る
第五十 左砂正成 峯越しの圖
五十一 志木林仙 難所にて伊木田を打殺す
五十二 他傳政峯 降参してはからず久吉の陣營を見聞す
五十三 保条直氏 佐枝時家に着て降参を乞
五十四大尾 久吉公 目出度小田原を凱陣し給ふ
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