ミロシェビッチ政権末期とユーゴ消滅に向けた長く不連続な曲線を追った、日本人バルカン特派員渾身の書き下ろし作品。400字詰め換算396枚と写真数十枚を上下2巻に分けて編集。
かつて「ユーゴスラビア連邦」という国があった。旧ハプスブルク帝国と旧オスマン・トルコ帝国とに狭まれたヨーロッパの南東部。地政学上の要衝とされ、セルビア人、クロアチア人、イスラム教徒、スロベニア人、アルバニア系など多くの民族を「南部(ユーゴ)スラブ人の地=ユーゴスラビア」として統一しようとの理想が掲げられた。が、2003年2月、新連合国家「セルビア・モンテネグロ」の樹立とともに73年間の歴史の幕を閉じ、消滅した。
この物語は、「南部スラブ人の地」の中心、セルビア共和国で、2000年秋に繰り広げられた政治闘争を生き抜いた人々、そして「ユーゴスラビア」の名の下に結集し、砕け散った人々の話しである。
堀川亮介はオーストリアのウィーンに駐在し、バルカンと中・東欧諸国を担当する「連合新聞」の特派員。最大のテーマはユーゴスラビア連邦(セルビアとモンテネグロ両共和国で構成)の動向だった。1999年5月に赴任した時、最初の出張がNATOによる空爆をうけていたベオグラードだった。べオに入って1週間で78日間に及んだ空爆が終わり、国連による停戦協定が成立し、同連邦コソボ自治州からユーゴ連邦軍が撤退した。日本も、国際社会も、ユーゴへの関心はそこでほぼ途絶えていた。しかし、ユーゴ国内ではNATOを敵に回して「ユーゴの独立」をかけて闘ったスロボダン・ミロシェビッチ大統領が健在だった。
国際社会は空爆後、「NATOが勝ち、ユーゴが負けた」と当然のように断定したが、ユーゴ国内では「ユーゴは負けなかった」とされていた。ミロシェビッチ大統領は空爆後も常に3割強の支持率を維持していた。3割では不安定だったが、彼は野党を対立、分裂させることで国民に他の選択肢を与えず、軍と警察の全権を掌握し、政権を手中に収めていた。
2000年9月24日のユーゴ大統領選挙が近付いていた。13年間君臨してきたミロシェビッチ政権がついに崩壊の危機に直面していた。亮介は取材許可証が入手できないままベオグラード空港に飛び、入国拒否に遇う。果たしてミロシェビッチ政権の最期と新生ユーゴの夜明けを見届けることができるだろうか…。
福永渓 1954年名古屋市生まれ。毎日新聞甲府支局、東京社会部、アフリカ特派員ハラレ支局長、同ヨハネスブルク支局長、ウィーン支局長、パリ支局長など。著作『パリに吹くBoboの風』(第三書館)、『南アフリカ 白人帝国の終焉』(第三書館)、『アフリカの底流を読む』(ちくま新書)など。著者のHPは http://www.fukui626.club/
『不連続曲線 上』『不連続曲線 下』(キンドル)は
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00M197TD4
http://www.amazon.co.jp/dp/B00M3NM6P4
『ウィーンの秘密 上』『ウィーンの秘密 下』(キンドル)は
http://www.amazon.co.jp/dp/B00NABBLVS
http://www.amazon.co.jp/dp/B00NIH5WEG
『パリの仕組み 上』『パリの仕組み 下』(キンドル)は
http://www.amazon.co.jp/dp/B01M6B9ME0
http://www.amazon.co.jp/dp/B01M9I86LY
『アフリカの輪郭 上』『アフリカの輪郭 下』(キンドル)は
http://www.amazon.co.jp/dp/B00MHWR1P6
http://www.amazon.co.jp/dp/B00MNMWURO
かつて「ユーゴスラビア連邦」という国があった。旧ハプスブルク帝国と旧オスマン・トルコ帝国とに狭まれたヨーロッパの南東部。地政学上の要衝とされ、セルビア人、クロアチア人、イスラム教徒、スロベニア人、アルバニア系など多くの民族を「南部(ユーゴ)スラブ人の地=ユーゴスラビア」として統一しようとの理想が掲げられた。が、2003年2月、新連合国家「セルビア・モンテネグロ」の樹立とともに73年間の歴史の幕を閉じ、消滅した。
この物語は、「南部スラブ人の地」の中心、セルビア共和国で、2000年秋に繰り広げられた政治闘争を生き抜いた人々、そして「ユーゴスラビア」の名の下に結集し、砕け散った人々の話しである。
堀川亮介はオーストリアのウィーンに駐在し、バルカンと中・東欧諸国を担当する「連合新聞」の特派員。最大のテーマはユーゴスラビア連邦(セルビアとモンテネグロ両共和国で構成)の動向だった。1999年5月に赴任した時、最初の出張がNATOによる空爆をうけていたベオグラードだった。べオに入って1週間で78日間に及んだ空爆が終わり、国連による停戦協定が成立し、同連邦コソボ自治州からユーゴ連邦軍が撤退した。日本も、国際社会も、ユーゴへの関心はそこでほぼ途絶えていた。しかし、ユーゴ国内ではNATOを敵に回して「ユーゴの独立」をかけて闘ったスロボダン・ミロシェビッチ大統領が健在だった。
国際社会は空爆後、「NATOが勝ち、ユーゴが負けた」と当然のように断定したが、ユーゴ国内では「ユーゴは負けなかった」とされていた。ミロシェビッチ大統領は空爆後も常に3割強の支持率を維持していた。3割では不安定だったが、彼は野党を対立、分裂させることで国民に他の選択肢を与えず、軍と警察の全権を掌握し、政権を手中に収めていた。
2000年9月24日のユーゴ大統領選挙が近付いていた。13年間君臨してきたミロシェビッチ政権がついに崩壊の危機に直面していた。亮介は取材許可証が入手できないままベオグラード空港に飛び、入国拒否に遇う。果たしてミロシェビッチ政権の最期と新生ユーゴの夜明けを見届けることができるだろうか…。
福永渓 1954年名古屋市生まれ。毎日新聞甲府支局、東京社会部、アフリカ特派員ハラレ支局長、同ヨハネスブルク支局長、ウィーン支局長、パリ支局長など。著作『パリに吹くBoboの風』(第三書館)、『南アフリカ 白人帝国の終焉』(第三書館)、『アフリカの底流を読む』(ちくま新書)など。著者のHPは http://www.fukui626.club/
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