存続を懸けて揺れ続けるユーゴ消滅末期を追った、日本人バルカン特派員の書き下ろし作品。400字詰め396枚と写真数十枚を上下2巻に編集。上巻の詳細は;
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00M197TD4
ヨーロッパの南東部に位置する「ユーゴスラビア連邦」(セルビア、モンテネグロ両共和国で構成)の国会は2003年2月4日、新国家「セルビア・モンテネグロ」の新憲法を採択し、73年余存続した国名「ユーゴスラビア」の消滅が確定した。
ユーゴは「南」、スラビアは「スラブ人の地」を意味した。「ユーゴスラビア」という国名には、いずれもスラブ系が多数派のセルビア、クロアチア、スロベニア、ボスニア、モンテネグロ、マケドニアの6つの共和国が、「南スラブ人の地」として、1つの連邦国家を築こうとの願いが込められていた。少なくとも発足当初はそう願っていた。
それが旧ソ連崩壊直後の1991年のスロベニア、クロアチア、マケドニア、1992年のボスニアの独立宣言で音を立てて崩れ始め、最後まで残っていたセルビアとモンテネグロも2003年、両共和国により強い独立性を与えた新連合国家「セルビア・モンテネグロ」に再編され、ついに連邦を解消してしまった。
「連合新聞」の記者、堀川亮介は、北大西洋条約機構(NATO)がミロシェビッチ大統領率いるユーゴ連邦への空爆を実施していた1999年5月、ユーゴを担当する隣国オーストリアのウィーン支局に赴任。ミロシェビッチ圧政下のコソボ、ユーゴ軍が撤退して今度は多数派アルバニア系がセルビア人を迫害するようになったコソボ、経済制裁の中でミロシェビッチ絶頂期を耐え忍んだセルビア、やがてミロシェビッチを追い詰めた反政府運動、その後のコシュトゥニッツァ連邦大統領とジンジッチ共和国首相の確執――など、次々に展開するユーゴ政治の廻り舞台を追い続ける。
2000年10月5日、首都ベオグラードの議会前広場は、全国から集まった50万人のセルビア人で埋め尽くされた。人々は「ミロシェビッチ退陣!」を叫んで議会内に突入し、同時に、議会を警備していたセルビア警察、ユーゴ連邦軍が警備を放棄し、群集に合流した。ミロシェビッチが治安権力の後ろ盾を失った瞬間だった。ところが、ミロシェビッチは大統領退陣後も、セルビア人の欧米諸国へのやり切れない思いを背景に、国論を二分し続ける。コソボ紛争での人道犯罪でオランダ・ハーグの国連旧ユーゴ戦犯法廷に引き渡されてからも、欧米諸国の「一方的正義」を糾弾し続け、セルビア人にとって「最も憎まれ、最も愛される政治家」であり続ける。
亮介が出会ったセルビア人は、経済制裁下という極貧の泥沼とミロシェビッチの圧政を、持ち前のおおらかさとバイタリティーで跳ね除け、もがきながらも生きて行く人々だった。ユーゴはNATOに反発して経済制裁を受け、極貧状態に陥る中、日本や西欧では考えられない活気ある社会だった。
そのユーゴは連邦解消で消えてしまった。民主化運動とその後の改革を主導したジンジッチは凶弾に倒れ、コシュトゥニッツァは3度の大統領選挙不成立で行き詰まった。50万人の群集を主導したイリッチは政治抗争の波間に消え、チョービッチやバティッチも…。
助手だったミリッツァは無給のNGOで働きながら弁護士を目指し、友人のティーナはオーストラリアに移住して医師として100倍もの給料を夢見る。ユーゴ革命後紙面に原稿がすっかり載らなくなった亮介は帰任を告げられる…。
福永渓 1954年名古屋市生まれ。毎日新聞甲府支局、東京社会部、アフリカ特派員ハラレ支局長、同ヨハネスブルク支局長、ウィーン支局長、パリ支局長など。著作『パリに吹くBoboの風』(第三書館)、『南アフリカ 白人帝国の終焉』(第三書館)、『アフリカの底流を読む』(ちくま新書)など。著者のHPは http://www.fukui626.club/
『不連続曲線 上』『不連続曲線 下』(キンドル)は
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00M197TD4
http://www.amazon.co.jp/dp/B00M3NM6P4
『ウィーンの秘密 上』『ウィーンの秘密 下』(キンドル)は
http://www.amazon.co.jp/dp/B00NABBLVS
http://www.amazon.co.jp/dp/B00NIH5WEG
『パリの仕組み 上』『パリの仕組み 下』(キンドル)は
http://www.amazon.co.jp/dp/B01M6B9ME0
http://www.amazon.co.jp/dp/B01M9I86LY
『アフリカの輪郭 上』『アフリカの輪郭 下』(キンドル)は
http://www.amazon.co.jp/dp/B00MHWR1P6
http://www.amazon.co.jp/dp/B00MNMWURO
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ヨーロッパの南東部に位置する「ユーゴスラビア連邦」(セルビア、モンテネグロ両共和国で構成)の国会は2003年2月4日、新国家「セルビア・モンテネグロ」の新憲法を採択し、73年余存続した国名「ユーゴスラビア」の消滅が確定した。
ユーゴは「南」、スラビアは「スラブ人の地」を意味した。「ユーゴスラビア」という国名には、いずれもスラブ系が多数派のセルビア、クロアチア、スロベニア、ボスニア、モンテネグロ、マケドニアの6つの共和国が、「南スラブ人の地」として、1つの連邦国家を築こうとの願いが込められていた。少なくとも発足当初はそう願っていた。
それが旧ソ連崩壊直後の1991年のスロベニア、クロアチア、マケドニア、1992年のボスニアの独立宣言で音を立てて崩れ始め、最後まで残っていたセルビアとモンテネグロも2003年、両共和国により強い独立性を与えた新連合国家「セルビア・モンテネグロ」に再編され、ついに連邦を解消してしまった。
「連合新聞」の記者、堀川亮介は、北大西洋条約機構(NATO)がミロシェビッチ大統領率いるユーゴ連邦への空爆を実施していた1999年5月、ユーゴを担当する隣国オーストリアのウィーン支局に赴任。ミロシェビッチ圧政下のコソボ、ユーゴ軍が撤退して今度は多数派アルバニア系がセルビア人を迫害するようになったコソボ、経済制裁の中でミロシェビッチ絶頂期を耐え忍んだセルビア、やがてミロシェビッチを追い詰めた反政府運動、その後のコシュトゥニッツァ連邦大統領とジンジッチ共和国首相の確執――など、次々に展開するユーゴ政治の廻り舞台を追い続ける。
2000年10月5日、首都ベオグラードの議会前広場は、全国から集まった50万人のセルビア人で埋め尽くされた。人々は「ミロシェビッチ退陣!」を叫んで議会内に突入し、同時に、議会を警備していたセルビア警察、ユーゴ連邦軍が警備を放棄し、群集に合流した。ミロシェビッチが治安権力の後ろ盾を失った瞬間だった。ところが、ミロシェビッチは大統領退陣後も、セルビア人の欧米諸国へのやり切れない思いを背景に、国論を二分し続ける。コソボ紛争での人道犯罪でオランダ・ハーグの国連旧ユーゴ戦犯法廷に引き渡されてからも、欧米諸国の「一方的正義」を糾弾し続け、セルビア人にとって「最も憎まれ、最も愛される政治家」であり続ける。
亮介が出会ったセルビア人は、経済制裁下という極貧の泥沼とミロシェビッチの圧政を、持ち前のおおらかさとバイタリティーで跳ね除け、もがきながらも生きて行く人々だった。ユーゴはNATOに反発して経済制裁を受け、極貧状態に陥る中、日本や西欧では考えられない活気ある社会だった。
そのユーゴは連邦解消で消えてしまった。民主化運動とその後の改革を主導したジンジッチは凶弾に倒れ、コシュトゥニッツァは3度の大統領選挙不成立で行き詰まった。50万人の群集を主導したイリッチは政治抗争の波間に消え、チョービッチやバティッチも…。
助手だったミリッツァは無給のNGOで働きながら弁護士を目指し、友人のティーナはオーストラリアに移住して医師として100倍もの給料を夢見る。ユーゴ革命後紙面に原稿がすっかり載らなくなった亮介は帰任を告げられる…。
福永渓 1954年名古屋市生まれ。毎日新聞甲府支局、東京社会部、アフリカ特派員ハラレ支局長、同ヨハネスブルク支局長、ウィーン支局長、パリ支局長など。著作『パリに吹くBoboの風』(第三書館)、『南アフリカ 白人帝国の終焉』(第三書館)、『アフリカの底流を読む』(ちくま新書)など。著者のHPは http://www.fukui626.club/
『不連続曲線 上』『不連続曲線 下』(キンドル)は
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