日本的な美しい風景を叙情豊かに表現し、海外での評価が高く、
浮世絵師の葛飾北斎・歌川広重等と並び称される程の人気がある川瀬巴水。
終生、夜、雪などといった詩情的な風景版画を貫いた。
川瀬巴水版画集1(出版者:渡辺画版店、出版年:昭和10年)。
国立国会図書館ウェブサイトより収録。
【収録内容】
◆01.東京二十景大根河岸の朝(昭和二年)
◆02.東京二十景上野清水堂(昭和三年)
◆03.東京二十景矢口(昭和三年)
◆04.東京二十景池上市の倉(夕陽)(昭和三年)
◆05.東京二十景明石町の雨後(昭和三年)
◆06.東京二十景千束池(昭和三年)
◆07.東京二十景桔梗門(昭和四年)
◆08.東京二十景不忍池の雨(昭和四年)
◆09.東京二十景平河門(昭和五年)
◆10.旅みやげ第三集男鹿半島龍ケ島(大正十五年)
◆11.旅みやげ第三集男鹿半島嵩雀窟(大正十五年)
◆12.旅みやげ第三集秋田空巣沼(昭和二年)
◆13.旅みやげ第三集秋田八郎潟(昭和二年)
◆14.旅みやげ第三集大坂天王寺(昭和二年)
◆15.東京二十景桜田門(昭和三年)
◆16.旅みやげ第三集星月夜(宮島)(昭和三年)
◆17.旅みやげ第三集木曾川蓬莱岩(昭和三年)
◆18.旅みやげ第三集尾州亀崎(昭和三年)
◆19.旅みやげ第三集秋田土崎(昭和三年)
◆20.旅みやげ第三集福岡西公園(昭和三年)
◆21.旅みやげ第三集別府の朝(昭和三年)
◆22.東京二十景荒川の月(赤羽)(昭和四年)
◆23.東京二十景滝の川(昭和四年)
◆24.旅みやげ第三集別府の夕(昭和四年)
◆25.大宮見沼川(昭和五年)
◆26.日光街道(昭和五年)
◆27.大宮氷川公園(昭和五年)
◆28.鎌倉大仏(昭和五年)
◆29.東京二十景馬込の月(昭和五年)
◆30.三宝寺池(石神井)(昭和五年)
◆31.相州七里ヶ浜(昭和五年)
◆32.二重橋の朝(昭和五年)
◆33.東京二十景月島の雪(昭和五年)
◆34.芝公園の雪(昭和六年)
◆35.池上本門寺(昭和三年)
◆36.清洲橋(昭和六年)
◆37.赤坂弁慶橋(昭和六年)
◆38.目黒不動堂(昭和六年)
◆39.中禅寺歌ケ浜(昭和六年)
◆40.山中湖の暁(昭和六年)
◆41.土浦の朝(昭和六年)
◆42.初秋の浦安(昭和六年)
◆43.犬吠の朝(昭和六年)
◆44.森ケ崎の夕陽(昭和七年)
◆45.関口の雪(昭和七年)
◆46.浦安之残雪(昭和七年)
◆47.舟堀栗渡(昭和七年)
◆48.厳島の雪(昭和七年)
◆49.鎌倉建長寺(昭和八年)
◆50.根津権現の雪(昭和八年)
川瀬 巴水について
川瀬 巴水(かわせ はすい、1883年(明治16年)5月18日 - 1957年(昭和32年)11月7日)は、
日本の大正・昭和期の浮世絵師、版画家。本名は川瀬 文治郎(かわせ ぶんじろう)。
衰退した日本の浮世絵版画を復興すべく吉田博らとともに新しい浮世絵版画である新版画を
確立した人物として知られる。近代風景版画の第一人者であり、日本各地を旅行し旅先で
写生した絵を原画とした版画作品を数多く発表、日本的な美しい風景を叙情豊かに表現し
「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと呼ばれる。
アメリカの鑑定家ロバート・ミューラーの紹介によって欧米で広く知られ、国内よりもむしろ
海外での評価が高く、浮世絵師の葛飾北斎・歌川広重等と並び称される程の人気がある。
仮名垣魯文は伯父に当たる。
経歴
1883年(明治16年)、東京都芝区(現港区)に糸組物(組紐)職人・庄兵衛の長男として生まれる。
本名は文治郎。10代から画家を志し
14歳の時、川端玉章門下の青柳墨川に日本画を学ぶ。
次いで荒木寛友にも学び、
25歳で父親の家業を継ぐが画家になる夢を諦めきれず、妹夫婦に商売を任せ、
27歳で日本画家・鏑木清方の門を叩いたが、
20代も半ばを過ぎた遅い始まりに難色を示され洋画家の道を進められた。
その為当時、洋画家の集まりとして知られた白馬会葵橋洋画研究所に入り岡田三郎助から洋画を学ぶ。
しかし洋画の世界では挫折を経験し27歳の時、一度は入門を断られた清方に再度入門を申し出て許されると
2年の修行を経て
1910年(明治43年)に「巴水」の画号を与えられる。
1918年(大正7年)、師の清方が得意とした美人画で行き詰まりを感じ始め、
同門・伊東深水の版画「近江八景」に影響を受けて版画家に転向。
当時浮世絵版画は衰退の一途を辿っていたが、
風景版画「塩原おかね路」、「塩原畑下り」を製作、数々の作品を渡辺版画店より発表し始める。
これらを第一作として終生、夜、雪などといった詩情的な風景版画を貫いた。
始めは伊東深水の影響が大きかったが、
次第に歌川広重や小林清親の風景版画を研究していき、技法的な工夫も見られる。
また全国各地に取材しており、数量も多い。
新版画家中、織田一磨による石版画の風景画に対抗するかのように、木版風景画で良く知られた存在である。
1920年(大正9年)、「旅みやげ第一集」完成。
1921年(大正10年)、「東京十二題」、「旅みやげ第二集」完成。
精力的に活動をしていた矢先
1923年(大正12年)、関東大震災で被災、多くのスケッチを失い一時失意の底に沈んだ。
1926年(大正15年)、「日本風景選集」完成。
1929年(昭和4年)、「旅みやげ第三集」完成。
1930年(昭和5年)、「東京二十景」完成。
1936年(昭和11年)、「日本風景集東日本編」完成。
1939年(昭和14年)、朝鮮へ旅行、「朝鮮八景」完成。
1944年(昭和19年)、栃木県塩原市に疎開。
1948年(昭和23年)、東京都大田区内に引越す。
1952年(昭和27年)、「増上寺の雪」が無形文化財技術保存記録の作品に認定された。
1957年(昭和32年)、自宅において胃癌のため死去。享年74。
墓所は世田谷区北烏山の万福寺。法名は釈明巴水信士。
「旅情の版画家川瀬巴水を偲び」の碑もある。
~ウィキペディアより ~
浮世絵師の葛飾北斎・歌川広重等と並び称される程の人気がある川瀬巴水。
終生、夜、雪などといった詩情的な風景版画を貫いた。
川瀬巴水版画集1(出版者:渡辺画版店、出版年:昭和10年)。
国立国会図書館ウェブサイトより収録。
【収録内容】
◆01.東京二十景大根河岸の朝(昭和二年)
◆02.東京二十景上野清水堂(昭和三年)
◆03.東京二十景矢口(昭和三年)
◆04.東京二十景池上市の倉(夕陽)(昭和三年)
◆05.東京二十景明石町の雨後(昭和三年)
◆06.東京二十景千束池(昭和三年)
◆07.東京二十景桔梗門(昭和四年)
◆08.東京二十景不忍池の雨(昭和四年)
◆09.東京二十景平河門(昭和五年)
◆10.旅みやげ第三集男鹿半島龍ケ島(大正十五年)
◆11.旅みやげ第三集男鹿半島嵩雀窟(大正十五年)
◆12.旅みやげ第三集秋田空巣沼(昭和二年)
◆13.旅みやげ第三集秋田八郎潟(昭和二年)
◆14.旅みやげ第三集大坂天王寺(昭和二年)
◆15.東京二十景桜田門(昭和三年)
◆16.旅みやげ第三集星月夜(宮島)(昭和三年)
◆17.旅みやげ第三集木曾川蓬莱岩(昭和三年)
◆18.旅みやげ第三集尾州亀崎(昭和三年)
◆19.旅みやげ第三集秋田土崎(昭和三年)
◆20.旅みやげ第三集福岡西公園(昭和三年)
◆21.旅みやげ第三集別府の朝(昭和三年)
◆22.東京二十景荒川の月(赤羽)(昭和四年)
◆23.東京二十景滝の川(昭和四年)
◆24.旅みやげ第三集別府の夕(昭和四年)
◆25.大宮見沼川(昭和五年)
◆26.日光街道(昭和五年)
◆27.大宮氷川公園(昭和五年)
◆28.鎌倉大仏(昭和五年)
◆29.東京二十景馬込の月(昭和五年)
◆30.三宝寺池(石神井)(昭和五年)
◆31.相州七里ヶ浜(昭和五年)
◆32.二重橋の朝(昭和五年)
◆33.東京二十景月島の雪(昭和五年)
◆34.芝公園の雪(昭和六年)
◆35.池上本門寺(昭和三年)
◆36.清洲橋(昭和六年)
◆37.赤坂弁慶橋(昭和六年)
◆38.目黒不動堂(昭和六年)
◆39.中禅寺歌ケ浜(昭和六年)
◆40.山中湖の暁(昭和六年)
◆41.土浦の朝(昭和六年)
◆42.初秋の浦安(昭和六年)
◆43.犬吠の朝(昭和六年)
◆44.森ケ崎の夕陽(昭和七年)
◆45.関口の雪(昭和七年)
◆46.浦安之残雪(昭和七年)
◆47.舟堀栗渡(昭和七年)
◆48.厳島の雪(昭和七年)
◆49.鎌倉建長寺(昭和八年)
◆50.根津権現の雪(昭和八年)
川瀬 巴水について
川瀬 巴水(かわせ はすい、1883年(明治16年)5月18日 - 1957年(昭和32年)11月7日)は、
日本の大正・昭和期の浮世絵師、版画家。本名は川瀬 文治郎(かわせ ぶんじろう)。
衰退した日本の浮世絵版画を復興すべく吉田博らとともに新しい浮世絵版画である新版画を
確立した人物として知られる。近代風景版画の第一人者であり、日本各地を旅行し旅先で
写生した絵を原画とした版画作品を数多く発表、日本的な美しい風景を叙情豊かに表現し
「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと呼ばれる。
アメリカの鑑定家ロバート・ミューラーの紹介によって欧米で広く知られ、国内よりもむしろ
海外での評価が高く、浮世絵師の葛飾北斎・歌川広重等と並び称される程の人気がある。
仮名垣魯文は伯父に当たる。
経歴
1883年(明治16年)、東京都芝区(現港区)に糸組物(組紐)職人・庄兵衛の長男として生まれる。
本名は文治郎。10代から画家を志し
14歳の時、川端玉章門下の青柳墨川に日本画を学ぶ。
次いで荒木寛友にも学び、
25歳で父親の家業を継ぐが画家になる夢を諦めきれず、妹夫婦に商売を任せ、
27歳で日本画家・鏑木清方の門を叩いたが、
20代も半ばを過ぎた遅い始まりに難色を示され洋画家の道を進められた。
その為当時、洋画家の集まりとして知られた白馬会葵橋洋画研究所に入り岡田三郎助から洋画を学ぶ。
しかし洋画の世界では挫折を経験し27歳の時、一度は入門を断られた清方に再度入門を申し出て許されると
2年の修行を経て
1910年(明治43年)に「巴水」の画号を与えられる。
1918年(大正7年)、師の清方が得意とした美人画で行き詰まりを感じ始め、
同門・伊東深水の版画「近江八景」に影響を受けて版画家に転向。
当時浮世絵版画は衰退の一途を辿っていたが、
風景版画「塩原おかね路」、「塩原畑下り」を製作、数々の作品を渡辺版画店より発表し始める。
これらを第一作として終生、夜、雪などといった詩情的な風景版画を貫いた。
始めは伊東深水の影響が大きかったが、
次第に歌川広重や小林清親の風景版画を研究していき、技法的な工夫も見られる。
また全国各地に取材しており、数量も多い。
新版画家中、織田一磨による石版画の風景画に対抗するかのように、木版風景画で良く知られた存在である。
1920年(大正9年)、「旅みやげ第一集」完成。
1921年(大正10年)、「東京十二題」、「旅みやげ第二集」完成。
精力的に活動をしていた矢先
1923年(大正12年)、関東大震災で被災、多くのスケッチを失い一時失意の底に沈んだ。
1926年(大正15年)、「日本風景選集」完成。
1929年(昭和4年)、「旅みやげ第三集」完成。
1930年(昭和5年)、「東京二十景」完成。
1936年(昭和11年)、「日本風景集東日本編」完成。
1939年(昭和14年)、朝鮮へ旅行、「朝鮮八景」完成。
1944年(昭和19年)、栃木県塩原市に疎開。
1948年(昭和23年)、東京都大田区内に引越す。
1952年(昭和27年)、「増上寺の雪」が無形文化財技術保存記録の作品に認定された。
1957年(昭和32年)、自宅において胃癌のため死去。享年74。
墓所は世田谷区北烏山の万福寺。法名は釈明巴水信士。
「旅情の版画家川瀬巴水を偲び」の碑もある。
~ウィキペディアより ~