俳句結社「渦」誌に連載していた「異体の俳人 鬼貫」に一部加筆修正したものです。
鬼貫は、万治4年(1661年)4月4日、清酒三文字を醸造する伊丹の酒造家油屋の三男として生まれ、その生い立ちについて鬼貫は「仏兄七久留万」「続七車」の自序で簡単に記しており、また昭和45年に発見された自伝「藤原宗邇伝」によって鬼貫の人となりやその生涯が明らかになっています。
鬼貫を扱った主な著書を傍らに、鬼貫に先んじた西山宗因の談林俳諧の句作、さらには芭蕉との比較において鬼貫の実像に迫ったものです。
鬼貫は俳諧を「我に益ある事」(独ごと)として、当時、酒造で財を成した伊丹資本をバックに勘者(経済官僚)として大和郡山藩などに勤め、「藤原宗邇伝」によると家人・左太平を一太刀のもとに斬り殺しており、また町奉行を相手に切腹すると強談判するなど、従来の鬼貫像と異なった「異体の俳人」としての姿がのぞきます。
現存する資料を基に、どのような「異体の俳人」であったのか、私なりに論じたものです。
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